先日、十数年ぶりに深山公園に行った。
ため池の岸辺近くに、たくさんの鴨と二羽の白鳥が寄り集まっていた。
餌をやってる人がいる。私は餌やりには賛成しないけど、鴨たちがそこを動か
ないので、おもいがけずじっくりと羽を見ることができた。
天然の鴨の羽の美しさ。
とくにオナガガモのオスの羽の繊細さ。首筋から腹部にかけてグレイのさざな
みのような羽。茶色のかかった白に縁取られた黒い羽が背から尾に続く。
それぞれの色の分量がほどよくて、シックに調和している。
メスのカモは茶系統のグラデーションである。
絵心があれば絵筆をとりたくなるであろう。

先日テレビで画家・伊藤若冲の「動植綵絵」の特集番組をやっていた。
見事に描写された群鶏の羽などについて、X線分析による顔料の調査や彩色の
技法を細密に説明していたっけ。
でも、なにより私の心に届いたのは、若冲が鶏を描くに当たっては、3年間放
し飼いにしてじっくりと観察したということのほうが、さもありなんと思えた。
くる日もくる日も奔放に動き回る鶏たちのさまざまな姿に「鶏」に対する多く
の新しい発見をしたにちがいない。
私も子どもの頃、鶏を飼った思い出がある。
菜をきざんで米ぬかにまぜた餌をやるのが仕事だった。戦後すぐだから、
田舎ではおおかたどこの家でも貴重な食料のために鶏を飼っていた。昼は
そこいらの畑に放し飼いである。時には、けたたましく啼き叫んで鶏同士
が飛びかかったり、精力的に土中のみみずなどをほじくる。真っ赤なとさ
かを左に右に振りながらあたりを睥睨する動きには、目的があり動作にあ
いまいさがない。
(わたしは、ときにアルゼンチンタンゴを踊っているカップルが、ステッ
プの変わりめにタッ、タッ、と頭の角度をきめひきつけて変える動きを見
ていると、鶏のとさかの動きに似てるなあと思ったりする。・・ま、これ
は余分)
それはさておき、若冲は一枚一枚の羽の色あいと、組み合わせの美しさの妙に
も感じ入り、それらをまとって、どうだといわんばかりに振舞う堂々した鶏の
動きに魅せられたに違いない。初めは圧倒されつつも、よし、お前たちを描き
きって見せるとひそかに意を決したのではないかしら。
わたしは山野を歩きながらさまざまな花たちに出会うたびに、つくづくとその
花の色、かたちの妙に見とれてしまう。どうしてこんな色が、どうしてこんな
かたちが、と自然界の造化の神さまのまえには思わずひざまずかずにはいられ
ない。
若冲は絵を描くものとして、はじめはその神様のつくり賜いしものにTryして
みようと思ったのかもしれない。でも10年もの歳月のうちに、若冲は無意識
のうちに造化の神様とひとつに解け合っていったのではあるまいか。
5年前京都の相国寺開基足利三代将軍義満公六百年遠忌に際しての「若冲展」
を見た。
「動植綵絵」三十幅と「釈迦三尊像」を間近に見たとき、はじめ、なにか迫り
来るものに圧倒された。が、繰り返し絵の前にじっとたたずんで見ていると、
そこには静謐な気が流れていて、自分も描かれている動植物と同じところにい
るような不思議な感覚にとらわれたことを思い出す。